中城城跡について

中山の中心に位置する 中城グスク

標高約160mの丘陵の上にあり、大変見通しの良い場所に築かれている中城グスク。
西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、勝連半島、知念半島、久高島を始めとした周辺の島々を見渡せ、当時の中山の動向を見張るには最適の場所です。

中城グスクは、護佐丸より以前の先中城按司によって築城されたグスクです。
現在ある三の郭と北の郭は、1440年頃、中城按司となった護佐丸によって増築されました。
護佐丸が増築した三の郭、北の郭では、座喜味グスク同様、築城技術の高さが随所で目の当たりにできます。
グスクを築くのが二度目ということもあり、さらにグスクとしての機能面、防御面などにおいて精度を増しているのが特徴です。
なかでも、城壁には護佐丸の築城技術の高さが顕著に現れています。
座喜味グスクで取り入れた相方積みの強度の高さを確信し、さらに精巧につくりあげ、見事な城壁を完成させています。強度、防御ともに、当時としては最高技術を取り入れた城壁となりました。
よって、今日まで城壁が崩れたことはありません。

石積み技法のほか、すばらしいのは裏門のアーチ門です。弧を描いた重厚な門は美しさが際立っています。また、水源・ウフガー(大井戸)のある北の郭において、しっかり水源を取り込んでいるのも大きな特徴です。
水源を確保すると同時に、排水設備を整えることで、地盤が緩まないようにつくられているところにも、護佐丸の築城技術の高さを見ることができます。

日本で本格的な石積みの城がつくられたのは、1563年に織田信長が築いた小牧山城とされています。
なんと琉球は、日本よりおよそ120(130年?)年以上も前から、石造りの築城技術を持ち合わせていたのです。
とすると、高度な技術を積極的に取り入れていた護佐丸は、まさに築城の天才といえます。

中城城跡を歩く

  • 一の郭

    一の郭

    中城城跡でいちばん高いところにあり、敷地面積が広いのが特徴。正殿があった場所で、驚くことに17世紀後半は間切番所として、明治期は中城村役場としても一時使用されていた過去を持つ。発掘調査の結果13世紀から近代にかけて、建築物が建っていたであろうと推測される遺溝が700個ほど発見されている。

  • 二の郭

    二の郭

    一の郭よりも一つ低い郭。城壁の曲線が美しく、石積みの技法は布積みが用いられている。二の郭から一の郭と通じる階段脇にシライ冨ノ御イベ(しらいとみのおいべ)という拝所がある。発掘調査の結果、土留めの石積みが高さ1.5m埋められ補強されていることがわかった。

  • 三の郭

    三の郭

    護佐丸が増築した郭。新城(ミーグスク)とも呼ばれている。発掘調査では、城壁の基礎部分から青磁雷文帯椀(せいじらいもんたいわん)と呼ばれる陶器が出土した。これらの遺物から15世紀中期に築かれた事が判明。護佐丸が増築したことが裏付けられた。